身近な友人が悩み続けている時、あなたにできること。
- seraphyroom
- 7月9日
- 読了時間: 6分

最近、複数の友人から、別々の場面で似たような悩みを聞くことがありました。
「会うたびに愚痴ばかり聞かされる友人とどう付き合えばいいか」という話です。
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自分の友達に、会うと愚痴ばかり言う人がいる。
私はもっとポジティブで生産的な話をしたい。
モヤモヤしたものが、こっちまで移ってくる気がする。
縁を切ろうかな、と思うけれど、完全に切る決心はつかない。
―――
大体このような内容です。
あなたは、同じようなことを感じたことがありますか?
もしそうなら、おそらくその友人は、あなたに心を許してくれているのでしょう。
「この人になら、吐き出してもいい、思ったことをそのまま言ってもいい」と。
そんな時、聞いてくれている相手のことは、あまり考えていないのかもしれません。
何故なら、あなたのことを“弱音を吐ける相手”だと安心しきって、気持ちが自分の悩みに集中しているので、
「聞いている相手も疲れる」という視点を忘れやすいのです。
悪気はなくとも「聞いてもらえる安心感」に寄りかかり、それがどれほど自分を支えてくれているかに気づけないことがあります。
確かにそれでは聞いているほうが疲れるのはわかります。
しかも、おそらくアドバイスをしても聞き入れてもらえないことも多いのではないでしょうか。
相手はアドバイスよりも「聞いてもらう」ことが大事だからです。
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私自身も、自分の身の上に起きたことを、誰かに知ってほしい、と思うことはあります。
だから、「話したい」、「聴いてほしい」と思う気持ちはよくわかります。
私が全てを心置きなく話せるのは、
一人は十代の頃からつきあっていて、大人になってからは、年に1回ほどのペースで途切れることなく関係が続いている友人です。
そしてもう一人は、夫です。
結婚当初、私の長い話を厭わずに聴いてくれました。
必ずしも楽しい話ばかりではなかったですし、毎日のことですから、大変だったはずです。
それでも丁寧に聴いてくれたので、本当に感謝するばかりでした。
今ではさすがに、正直に「疲れた」と口に出すようになりましたが、それでも変わらず聴いてくれています。
これらは、「特別な関係性」と、お互いにケアしあう「双方向性」があって成り立つことです。
冒頭に挙げたジレンマは、「ほどよく身近な友人」という距離感であり、「お互いの立ち位置のバランスが少し偏っている」場合に起こりやすいものだと思います。
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私はお金を頂いて、お話を聴く「オンライン傾聴プラットフォーム」に所属しています。
そこを訪れる方々は、お金を払って「自由に気兼ねなく」お話をすることで、心を整えることを目的に利用してくださいます。
来てくださるお客さまが、口を揃えて言うのは、「友人だって忙しいから、そうそうつきあわせるわけにはいかない。それに、暗い話をしても申し訳ないと思う」ということです。
少し角度を変えて考えると、長々と友人に自分の話をすることができるのは、それを聴く側の人の中に、優しさを感じ取っている…つまり、聴く側が「話してもいいよ」という主体性を持っているということでもあるかもしれません。
縁を切るに切れず、距離を置くに置けない、ということは、どこかに「話を聴いてあげたい」という自分の気持ちがあるからではないでしょうか。
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こうした状況で、友人として話を聴く側の態度としては、大体次のような順番で考えていくと整理しやすいかと思います。
① あなたと相手の境界を見直す
「助けること」と「背負うこと」は違います。あなたができるのは“友人の人生を代わりに歩かないこと”だということを再確認します。
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・「私はどこまでなら聴けるか」「できることは何か」を紙に書き出す
・相談を受ける頻度・時間の上限を決める
・“背負わない”と心の中でそっと宣言する
② 関係性の再定義
「友人の悩みを解決する役割」ではなく、「安心して話せる人」という役割に立ち返ることです。
→
・アドバイスよりも「そう感じるんだね」と共感を中心にする
・話題が重くなりすぎたら軽く方向転換する
・「それは専門家(もしくは専門機関)に相談するといいかもね」と優しく提案する
③ 自分のケアを優先する
友人を支える前に、自分のエネルギーを守ることが最優先だという基本を忘れずにいることです。
→
・聴けない日は無理に会わない
・返信を急がず、余裕のある時に返す
・自分の生活・睡眠・趣味を優先する
この順番で考えると、「どのような頻度でつきあうか」「どんなスタンスで話を聴くか」「相手にどう返事をするか」といったことが、自然に整理されていくと思います。
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でも、この話を聴いて、もしもあなたが「少し物足りない」、「何かよいアドバイスのしかたを知りたい」と思ったとすれば、あなたは、「人を助けたい」という気持ちが、少し強いかもしれないということを、まずは自覚する必要があります。
話を聴いても解決しないことに焦りを感じるのは、あなたが『友人として』ではなく、どこかで『助け手(カウンセラー)』の役割を背負おうとしている表れかもしれません。
このジレンマが起きるのは何故でしょう。
それはあなたが本来持っている『人を助けたい』という強い情熱ゆえないでしょうか。
けれど、それ以上踏み込むとしたら、それは専門的なサポートが必要な領域かもしれません。
私たちカウンセラーは、実際の友人に対して、カウンセリングの技術を使うことはありません(普通の相槌などはします)。
カウンセラーとしての応対はすべてが専門家として計算されたものです。
そして、カウンセリングは『枠組み(治療契約=時間や料金、プライベートな関係性がないなどの構造)』があるからこそ、深く踏み込めます。
逆に言えば、枠組みのない友人関係で同じように力を尽くそうとすると、友人関係と、カウンセラーの役割を混同して、あなた自身も相手も消耗する可能性があります。
だからこそ、友人としての距離感と、専門的なケアの場を分けて考える必要があるのです。
もしも、あなたが人を助けたいという情熱を持っているとしたら、それはあなたの貴重な資質です。
ただ、それを活かすなら、しっかりした「枠組み」の中で、困っている第三者のために力を発揮することをお勧めします。
また心のことに興味があるなら、心理学の勉強をすることも、まずは自分自身が楽に生きるヒントが得られます。
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友人の悩みに踏み込みすぎないという選択をしたとしても、「友人との境界線と程よい距離感」を保つことは決して突き放すことではなく、長く見守り続けられる関係を保つ、優しい支援でもあります。
友人の中にある「生きる力」を信頼することも、ご本人にとって自分と向き合う機会を作り、成長の過程となるはずです。
ご友人との関係性に悩んだ時のヒントになれば幸いです。
【著者:佐藤真理子】
公認心理師。
1970年八戸生まれ、盛岡育ち。
私のミッションは、自己理解と他者理解をほどいて、幸せな人生を送る人を増やすこと。
一人で抱え込みそうなときは、いつでもカウンセリングを頼ってくださいね。
このブログでも、少しずつ「心をほどくヒント」をお届けしていきます。
[カウンセリングのHPはこちら]https://seraphyroom.com




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